アガベ畑でコウモリと花が紡ぐ永年のラブストーリー 

コウモリと言えば、吸血鬼と関連づけられる吸血コウモリを連想する人も少なくないだろう。確かに、その昔、スペイン人がアメリカ大陸の熱帯雨林地域の踏破中に遭遇した吸血コウモリに”vampiro” (英語で”vampire”)と命名したことに由来するが、縁起の良い動物とされる中国、またテレビ番組やその映画化された「正義の味方」の“Batman"とは異なり、ヨーロッパや日本では忌むべき恐ろしい不吉な動物、日和見(ご都合)主義などの「偏見」が広まっている。
さらに、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の起源と関連している可能性が報告された後、恐ろしい存在として悪評を得ている。

しかし、世界に1,400種類以上存在する(メキシコには138種類が生息)コウモリの中には、異花受粉の媒介者という生態系にとって不可欠な役割を果たしている「益獣」であるという事実は、まだ十分には知られていない。その意味で、種としてのコウモリの個体数の世界的な激減は憂慮すべき事態であり、その背景には、コウモリの餌となる植物の減少、乱開発や犯罪組織の手による洞窟や廃屋などの生息場所の破壊、そして昨今、激化を辿る地球規模の気候変動など、コウモリの生息を脅かす環境条件の悪化が、絶滅危惧種の指定に至った深刻な状況を作り出していることを想起する必要がある。

幸い、学術関係者、保護団体等が声を上げ、この傾向に歯止めをかけてコウモリを絶滅の危機から救おうという動きが米国とメキシコを中心に展開されてきている。現時点では、まだ楽観視できる状態ではないようだが、国際社会の中でこの危機感が共有されつつあるという報告がある。ここでは、テキーラ、メスカル等アガベ(マゲイ)スピリッツの生産との関わりで、蜜食コウモリの中で特にアガベの花の蜜を餌とする3種類のマゲイコウモリ(Murciélago magueyero)の保護に尽力している二人のメキシコ人を取り上げ、両者の協力から誕生した「バットフレンドリー(Bat FriendlyTM)」プロジェクトの取り組みを紹介したい。


マゲイコウモリとは

まず蜜色コウモリの中で、アガベとラブストーリを紡いできたコウモリについて見てみよう。コウモリは、夜間に花が開き独特の匂いでその場所を特定するアガベの花の蜜を食料とし、その際に体中が花粉に覆われることによって「異花受粉」をする、つまり、お互いに依存しあってこれまで生き延びてきたという「共進性」があることを指摘したい。
妊娠中または子育て中の雌が米国とメキシコの間で「渡り」をする、メキシコの国土のかなりの部分に生息する、吸蜜しやすい長い鼻をしていることが3種類に共通した特徴である。

1)メキシコハナナガサシオコウモリ(学名:Leptonycteris nivalis)は、グアテマラ、メキシコ及び米国の在来種で、体重20~32 g、前腕長56~60 cmの中型のコウモリで、群生するアガベを求めて米国南西部を出発しメキシコの東シエーラマドレ山脈を移動する。現在、絶滅危惧種に指定されている。

2)ヒメ(レッサー)ハナナガコウモリ(学名:Leptonycteris yerbabuenae)は、中米、メキシコ及び米国南部に分布する。アガベ、特にアガベアスルの花蜜と花粉を餌にすることから、「テキーラコウモリ」とも呼ばれている。体重15~27 g、前腕長51~54 cmとやや小型である。絶滅危惧種に指定されていたが、懸命な保護努力が実り、2015年にメキシコで、2018年に米国で絶滅危惧種リストから除外されるに至った。

3)メキシコハナナガヘラコウモリ(学名:Choeronycteris Mexicana)は、米国西部及び南部から中南米にかけて分布する。花蜜以外に果実や昆虫類を食している。体重は10~20 g、前腕長は43~47 cmとこれらのマゲイコウモリの中では一番小型である。メキシコでは危急種に分類されている。


生態的好循環の回復のためのイニシャティブ−コウモリへのアプローチとテキーラ・メスカル製造へのアプローチ

1980年代以前に既に危機的状況にあったこれらのコウモリの中で、その時期に1000匹前後までに激減したヒメハナナガコウモリを中心に「救出」に乗り出したのが、メキシコ国立自治大学(UNAM)生態学研究所教授で「メキシコのバットマン」として世界的に知られるコウモリ保護の第一人者であるRodrigo Medellín (ロドリゴ・メデジン)博士である。13歳の時に初めてコウモリを両手で抱えた経験から生物学に生涯を捧げる決意をして以来、40年以上もコウモリの保護を中心とする生態学の研究を続けている。博士は、コウモリに対する不当なイメージ、偏見の打破の必要性を繰り返し述べる。数多くの論文を執筆発表することに加えて、研究の協力者らと共に、アガベ畑に出向き、コウモリの受粉媒介者としてのアガベとの不可分の役割を農家に説いて回る活動も実践している。こうした活動が国内外で高い評価を得て、「保全に関するメキシコ国民賞」や「ローレックス賞」などを受賞してきた。

ロドリゴ・メデジン博士


他方、アガベスピリッツ製造の側で、状況改善の活動を提唱したのがDavid Suro (ダビド・スロ、以下敬称略)である。グアダラハラ生まれのスロは、1985年に米国フィラデルフィアに移住し、現地で最初のメキシコ料理店「テキーラス」を開業。テキーラ愛好家でもあったことから、最高のテキーラを見つけようと決意し、2005年に自家ブランドとして“Siembra Azul”を立ち上げた。
とはいえ、飲食店の開業当時の米国では、テキーラには「悪魔の不味い酒」という悪評が立っており、スロはその偏見を打破する目的で、2010年に”Tequila Interchange Project “(TIP)を創設した。基本的な考え方として、テキーラ消費者の間で、メキシコの歴史と文化の中でのアガベの役割の理解を得るために、歴史学者・人類学者の協力を求めた。
そして、バーテンダー、コンサルタント、教育者、研究者、愛好家、消費者を結集するに至った。持続可能で、伝統的な高品質に裏付けられた慣行を保護することを目的とし、消費者、生産者及び規制団体(CRT)との間の連絡役も務めつつ、セミナーの開催、学術論文の翻訳や新規の研究プロジェクトの後援を行っている。

ダビド・スロ


Bat FriendlyTMの創設

テキーラやメスカルの産業的な製造では、アガベのキオテ(花序)が発達する前に、ピニャに蓄えられた糖分を収穫する必要があり、播種よりもイフエロを移植する方がアガベは早く生育する。しかし、イフエロは母株のクローンであるため、環境への適応や病虫害に対する防御が妨げられ、遺伝的多様性の喪失に拍車がかかることになる。アガベの花粉媒介者であるコウモリを、アガベから排除することは、アガベ自体のみならず、生態系及びアガベスピリッツの製造に於いても悪影響を及ぼすことが指摘されている。

コウモリに優しいテキーラとメスカルをつくるという趣旨のBat FriendlyTMの構想は、2012年のメデジン博士とスロの出会いに始まった。2015年に、彼ら2名が共同創設者・代表となる、UNAMとTIPの協力の枠組みの中でこのプロジェクトの正式な立ち上げとなった。

コウモリとアガベの両方にとって健全な生態系が存在するための最適な条件を創出するというビジョンに基づき、アガベ畑にコウモリが来訪する生態系の中での持続可能な製造慣行の意義を認め、その保持を目指すという使命を掲げている。第一段階としてのパイロットプランが、ミチョアカン州のモレリアから始まった。

“Bat FriendlyTMのシールを貼付したテキーラ、メスカル等の製品の特徴は、1)アガベ畑の5%以上のアガベを開花させた、2)コウモリの来訪と餌食みが確認されている、3)畑の95%程度のアガベが蒸留所に運ばれた、4)そこで製造されたテキーラやメスカルは、畑から蒸留所でのボトリング段階まで追跡可能である。2016年に、試験的に30万本の「コウモリに優しいテキーラ」が市場に導入され、注目を浴びた。なお、2021年現在で、この趣旨に賛同してつくられたブランドは、テキーラが5つとメスカルが4つである。

このプロジェクトを支えるその他のメンバーは次のとおりである。

Ignacio Torres (イグナシオ・トーレス) 野生動物資源、特にメスカル用の多種多様のアガベ利用と管理の研究者。

Emilio Vieira(エミリオ・ビエイラ)  モレリアのマゲイ生産者協会創設者、メスカルドンマテオの六代目の総責任者。

Carlos Camarena(カルロス・カマレナ) テキーラタパティオの総責任者、テキーラオチョの共同開設者。

Salvador Rosales Trejo (サルバドール・ロサレス=トレホ) テキーラカスカウイン3代目の製造総責任者として、伝統を重視する本物の製造プロセスの維持を目指す。

Pedro Jiménez Gurría (ペドロ・ヒメネス=グリーア) ビジュアルアーティスとしてドキュメンタリー映画を制作、伝統的なメスカル文化の推進者。

Joaquín Mesa (ホアキン・メサ) 幼少時に家族と共に米国に移住。両親が開業したメキシコレストランの影響でテキーラ・メスカルに関心を持つ。TIPの理事会のメンバーでもある。


今後の展望

2015年 4 月 17 日に、「国際コウモリ感謝の日(International Bat Appreciation Day)」が制定されたことは、生態系に於ける唯一の飛ぶ哺乳類であるコウモリ の重要性を考察する貴重な契機となった。上述のマゲイコウモリのアカベの異 花受粉の役割は、関係者の間でより大きな重要性を持って受け止められたことであろう。

また上述の種としてのコウモリの激減状況は、テキーラ及びメスカルが、メキシコ公式規格(NOM)の中で正式な位置づけを得る以前に始まり、その回復が一種を除いてはまだ達成されていないことを念頭に置くべきだろう。つまり、テキーラ及びメスカルの 世界的人気の沸騰により生産・輸出高が右肩上がりを示してきている今日、健康なアガベを確保するという課題は、抜本的な取り組みを必要とする。a)アカべ、b)テキーラ・メスカル産業の担い手としての人間及びc)コウモリから成るバランスの取れた三角形の関係は、アガベとコウモリの間に人間が入り込み、両者間の密接な関係が崩れるという構図に変化した。

Bat FriendlyTMの掲げるコウモリに優しいテキーラとメスカルの製造は、深刻な現状を解決するための有用な方策となるだろう。同フロジェクトの本格始動については、続報がまだ示されていないようである。しかし、スロは、メキシコ南部のメスカルの主要産地を含めたより広い地域で展開したいとの意向を示唆しているので、今後、サプライチェーンの全体としてのより動的な取り組みが期待されるのではないか。

生かして生かされるという互恵的な考え方に基づき、若干の短期的「犠牲」で中長期的に重要でより広範な利益を得ることを理解する必要があるだろう。各地 のアガベ畑で、再びラブストーリーが展開される日もそう遠くないかもしれない。


主要参考文献
-Roberto-Emiliano Trejo-Salazar, Luis E. Eguiarte, David Suro-Piñera y Rodrigo A. Medellín: Save Our Bats, Save Our Tequila: Industry and Science Join Forces to Help Bats and Agaves

-Tequila Interchange Project, https://www.tequilainterchangeproject.org

-Bat Friendly, https://www.batfriendly.org/acerca-de-bat-friendly/

-Clementina Equihua y Rodrigo Medellín: Agaves, mezcales, murciélagos: un triángulo virtuoso, https://estepais.com/impreso/327_julio_2018/agaves-mezcales-murcielagos-un-triangulo-virtuoso/

-Por un brindis ‘bat friendly’: cómo los murciélagos están salvando el tequila, UNAM Global Revista

文責:松浦芳枝