テキーラの一気飲みの起源 ― Caballitoを通して見たテキーラの横顔

テキーラの一気飲みの起源 ― Caballitoを通して見たテキーラの横顔


寄稿:松浦芳枝


テキーラの一気飲みの起源 ― Caballitoを通して見たテキーラの横顔、カバジート、テキーラグラス写真:JUAST

一気飲みと「罰ゲーム」が依然としてとしてセットで扱われる確率の高い日本。一気飲みは健康被害ととりわけ強いられた場合の心理的トラウマの可能性の観点から論外である。

この現象ではテキーラが標的であることは明白である。筆者は、12年ほどテキーラを中心とするアガベ(リュウゼツラン)の広義での文化的役割を研究してきたので、テキーラのプロモーション側での苛立ち、義憤は十分以上に理解し、何らかの策を講じなければならないという思いを共有している。

とは言え、そうした風潮を「撲滅」してお酒の世界での「世直し」を試みるかのような提案が散見されるが、そこに必要以上の気張りが感じられてならないというのが正直な感想である。

確かに、テキーラが本来値する位置付けを日本の消費者に理解してもらうという目的が未達成であることは事実である。そこで、特にプロモーション側が、テキーラのプロフィールをより良く知る機会を持つことに意味があると考えた次第であり、まず文献による情報収集が必要であると判断するに至った。本稿は、筆者が予々見聞きして好奇心を擽られ、興味を覚えたことについて、若干ではあるが深掘りした「予備調査」の一部である。
テキーラの一気飲みの起源 ― Caballitoを通して見たテキーラの横顔、カバジート、テキーラグラス
冒頭触れたように、「一気飲みと悪酔=テキーラ」という根拠のない図式が否定的な印象の連鎖を引き起こし、日本の消費者をテキーラから遠ざける主要因になってきたが、他方、その飲み方の起源については、語られることはほとんどないと断言できる。

しかし、悪癖であると一蹴する前に、しておかなければならない作業がある。本稿ではその視点に立ってテキーラの素顔を飲むための容器との関係で捉えてみようと思う。

そして、生産開始の初期に一気飲みが生まれた必然性としての物理的要因と20世紀になってメキシコ人の心にしっかりと浸透した文化的要因について考察する。言うまでもないが、本校の意図は、一気飲みを奨励するものでは決してなく、時間をかけて育成されたアガベアスルのピニャから得られた液体の一滴一滴を余すことなく味わって欲しいという願望に些かの迷いもない。

その意味で、歴史に照らしてテキーラ用のショットグラスがどのような背景で誕生したかを改めて考えてみることには意義があるだろう。

幸い、ここ数年カバジート”caballito”というスペイン語の単語が徐々にテキーラ愛好家の間に浸透しつつあり、テキーラの持つこぼれ話として言及されることも少なくない。しかし、検索のための視点を変えてみることによって、今回初めて目にする情報もあった。それについて以下に述べてみたい。
テキーラの一気飲みの起源 ― Caballitoを通して見たテキーラの横顔、カバジート

テキーラを飲む容器の変遷 ― cuernitoから生まれたcaballitoの進化

Caballitoというテキーラ用専用ショットグラスは、容器としての物理的機能に加えて、テキーラと一体化して、メキシコのアイコンとして不可欠な要素の一つである。

元来、牛の角(cuerno)の中をくり抜いて空洞にしてできたcuernitoと呼ばれるものが、「愛馬(caballito)に乗って一杯やるのさ」という文言からcaballitoという名前で呼ばれるようになり、その後広く知られるようになった。

元々は一気飲みの量が入る程度の容量であったとされ、当初は一気飲みを前提としたスペックであったことが指摘されている。

テキーラの製造が本格的に始まった19世紀以来、アガベ畑の所有者または管理者は、馬に乗って畑作業を監視する中、水の入った瓢箪とテキーラの入った瓢箪、そしてイストラ(Ixtla:アガベの繊維を紐状にしたもの)を角の先端部につけて首から下げていた。彼らは畑に目を走らせつつ、テキーラと水を飲んでいたが、馬の背では揺れるので一気に飲まざるを得なかったであろう。

また、数人で行動していた時に一つの角を共有することもあったようで、その場合は、飲んだらすぐに次の人に渡す、このようなことが日常的風景となっていた。一気に飲まないという選択肢が実質的に存在しなかったことは想像するに固くない。
テキーラの一気飲みの起源 ― Caballitoを通して見たテキーラの横顔、カバジート、クエルニート、テキーラグラス
このcaballitoのプロトタイプはその後進化を遂げて、円錐形で末端を切除して高さを調整した、底は厚い構造の透明のガラス製の容器が定着した。

1970年代中庸以降メキシコ人にとっては非常に見慣れた存在となったこのモデルは、製造並びに機能・形式において、簡素で実用的な解決策であった。

ガラスの厚底は容器に安定性をもたらし、少し高さを出しても倒れにくい構造であった。機能が形を決めて、形がメキシコにおけるテキーラの一杯の分量を標準化したと言える。その後様々なデザインが考案され、実用性に芸術性が加わってcaballitoの製品としての幅が広がった。とは言え、上述の最もシンプルな上述のcaballitoは、クラシカルカバジートとして今日も広く愛されている。

メキシコ革命 国民のアイデンティティを表すテキーラ

メキシコ革命とそれ以降の国家によるナショナリズムの高揚にテキーラが使われたことはよく知られている。

革命の前のポルフィリオ・ディアス政権時のフランス文化傾倒傾向を停止し、メキシコのルーツである先住民文化を意識したメスティサヘの具現化としてテキーラという認識が社会に発信された。

メキシコの大衆の勝利としての革命によって新たな役割を担ったテキーラは、1940年代のメキシコの銀幕黄金期で頂点に達する。

ペドロ・インファンテやホルヘ・ネグレッテという往年の大スターが、テキーラのボトルを抱えて苦悩を表明する姿が評判になり、テキーラの知名度が高まった。

しかし、同時に一気飲み、瓶から直接飲むような場面が印象的になり、テキーラの飲み方はかくあるべしという方向に向かってしまったとして、テキーラ業界からは、間違ったメッセージの発信になったという指摘がある。更に音楽界でも楽曲で多くのインスピレーションの根源になったという事例も少なくない。

時代が移り、1974年のテキーラの原産地呼称(DOT)の制定と1994年に創設されたテキーラ規制委員会(CRT)による一元的管理体制の下でテキーラに関するメキシコ公式規則(NOM-006-SCFI-2005以降)の順守を義務付けられて製造されるテキーラは質的に大変容を遂げた。

アガベの育成には何年も要することもあり、「時間が溶け込んだ液体をゆっくりと味わって飲んで欲しいと呼びかけるメーカーも少なくない。

テキーラ文化の消費者への「啓蒙活動」が成果を上げてきている。100%アガベテキーラの生産と輸出がテキーラのそれを抜き逆転したことで、カクテルに使用する以外に、ストレートで飲むという選択肢が重要性を増した。味わって飲むことのメリットが強調されるのは当然である。

テキーラとメキシコの国民性

シャンパーニュ、ラム、ウイスキー、ウオッカなどそれぞれのお酒にはそれぞれの意味がある。大雑把なまとめ方という感は拭えないものの、世間での受け止められ方に関して共通項が浮かび上がってくるのは明らかである。

さてテキーラの場合はどうであろうか。

まずフィエスタという楽しい明るい場面が浮かんで来て、そこで典型的なメキシコらしさが描かれるのが普通である。しかしそこで止まらなくて、もっと深い意味で悔しさ、失恋、忘れるために飲むという局面が明らかになる。

この相反する二面性こそがテキーラのユニークな特徴であるが、苦しむが癒される、寄り添いの美学という感覚がテキーラの持つ心理的な二大効用と言える。メキシコには、「辛い時にはメスカル、楽しい時にもメスカル」(”Para todo mal, mezcal; para todo bien, también”)という有名なことわざがある。

なお、歴史的にテキーラはテキーラ地区のメスカルワインと呼ばれていたことに鑑み、この有名なことわざにテキーラが含まれることは言を俟たない。テキーラの持つ癒しの力は、アガベのDNAによってもたらされたものである。

テキーラは感性が誘う旅である

本稿を準備しながらいくつか非常に興味深いブログ、エッセイや記事に遭遇した。特に印象に残っているのは、メキシコの文芸評論家、大学教授であるGonzalo Celorioの”El Tequila”というエッセイである。

彼の友人でやはり作家であるFernando FernándezのブログのSiglo en la brisaに転載されているのを読んでみた。テキーラは、数あるお酒の中で唯一「行き」のお酒というよりは、むしろ「帰り」のお酒であるという意見である。

直訳ではわかりにくいため意訳すると、口に入れた時(行き)よりも飲み終わったあと(帰り)が重要なのだと筆者は理解している。因みにGonzaloは、香りを堪能するために脚のあるテキーラグラスの優れた特質を評価しながらも、徹底したcaballito主義者であると述べている。

この捉え方は言い得て妙である。とりわけ味と香りなどの複雑性が開花するレポサド以降の熟成クラスを堪能する上で鍵となる要素であると思う。

しかし、口に含む直前及びその時のセンセーションである「行き」も捨て難く、往復によって完全にその持ち味が感性によって「理解・咀嚼」されるのではないか。さらにいえば、テキーラの心理的な特質である上述の二面性も悩み(行き)癒し(帰り)のプロセスとして捉えることもできる。

その意味で、往復して癒し効果が得られることにより、テキーラの有形無形の世界が完成すると言えるのではないだろうか。

最後に歴史を刻み込んだ美術品としての限りなく美しいcaballitoを紹介しよう。次回メキシコ市を訪れる機会ができたら、是非その美しさに暫し魅了されたいものである。

出典:国立人類学歴史研究所(INAH)メディアライブラリー
品目:テキーラグラス
彫り模様:メキシコの国章  製造時期:19世紀  生産国:フランス(バカラクリスタル)
大きさ:高さ9.4cm 、内径 5.3cm
所蔵 :メキシコ市チャプルテペック城内国立歴史博物館
管理者:国立人類学歴史研究所(INAH)

Vaso tequilero写真