コラム 古代メキシコのケッツアルの羽根の被り物 ~400年以上前にオーストリアに渡ったアステカ帝国の宝物~ 2020/11/04 717 X Facebook Hatena LINE 古代メキシコのケッツアルの羽根の被り物~500年以上前にオーストリアに渡ったアステカ帝国の宝物~ 世界的な文化財を支えてきたアガベは名脇役 訳・解説:松浦芳枝 出典 在ウイーン、オーストリア世界博物館 この羽根の頭飾りの持ち主について、報道ではモクテスマのペナチョ(羽根の被り物)とされていることが多いが、今日では、アステカ帝国の皇帝モクテスマ2世が王冠または頭飾りとして使用したものではなく、また、同皇帝のものであったする根拠は科学的に検証されておらず、神官のものであったというのが有力な学説となっている。 そうした中、2012年に、本文化財の名称として、”el Penacho del México Antiguo” (古代メキシコの羽根の被り物) の名称が、調査・修復に当たった学術研究者によって提起された。本稿の便宜上、ペナチョとして以下記載する。 アンドレス=M・ロペス=オブラドール大統領は、メキシコの独立200周年とスペインによる征服500周年に当る2021年を、「メキシコの独立と偉大さの年」であると位置づけている。国家的行事の開催という文脈の中で、ペナチョの展示のための貸出しの可能性を探る意図で、今年の10月に、歴史学者であるベアトリス夫人をヨーロッパに特使として派遣した。 オーストリア政府首脳との困難を極める「不可能な使命」を託したのだと表明した。根底には文化財の流出と原産国による返還要求の問題があり、メキシコは1991年以降、同文化財の返還要求をオーストリア政府に対して行ってきており、最近は「返還」から「貸出し」へと要求内容が軟化してきた。異例の外交戦術ではあったが、振動に対する極度の脆弱性という技術的隘路のために、現状では移動は不可能という結論に達したと報じられている。 メキシコからオーストリアへ ペナチョが、モクテスマによって総計158品目の宝物と共に、カルロス1世(神聖ローマ帝国のカルロス5世)への善意の表明として、エルナン・コルテスに献上品として手渡されたというのが最も有力である。コルテス→カルロス5世以降の所有者の変遷については記録もなく不明な点が多く、最終的にウイーンの公的な場所での保管に至っている。流れをわかりやすくするために、以下、簡易年表を示す。 1596年 カルロス5世の甥であったフェルディナント2世のアンブラス城の収蔵品リストに含まれていることが判明。ペナチョに関するヨーロッパでの最初の記録である。 1814年 ウイーンのベルベデレ宮殿へ搬送、展示。 1819年 考古学者エドゥアルド・フォン=ザケンにより原産国はメキシコであるとされた。 1878年 博物学者のフェルディナンド・フォン=ホーホシュテターが、飾り棚の中に無造作に積まれていたペナチョを発見し、最初の修復を施した。 1889年 ウイーン自然史博物館に移送。第一次世界大戦中は同所で保管。 1918年 民族博物館に移送。第二次世界大戦の勃発と同時に、オーストリア国立銀行の宝物室で厳重に保管。 1946年 戦後、チューリッヒで「オーストリア珠玉展」の開催。 1947年3月 民族博物館に戻り、今日に至るまで他所に動かされたことはない。 2010-2012年 メキシコ・オーストリア両国の専門家グループによる初の本格的な学際的調査の実施。 2017年 民族博物館がウイーン世界博物館と名称変更。 ペナチョの材質と構造的特徴 先スペイン時代の羽根細工師と金細工師との究極のコラボレーション作品である。使用されている羽根は、本来は5種であったが、その一つは著しい劣化のために原形を留めていないため、どのような鳥のものだったかは不明である。現存の四種類の鳥の羽根は ピンク色:ベニヘラサギ 青色:メキシコルリカザリドリ 緑色:ケッツアル(雄) 茶色:テリバネコウウチョウ こちらのページをクリックしてください 構造的特徴として特筆に値するのは、アガベと綿の糸で大小1組のネットを作り、その上にアガベの糸を巻き、蘭の一種から抽出した糊を貼付した支えとなる棒を置いていく方法である。それらの糸でケッツアルの羽根を固定する。 中心に近い部分のその他の羽根は上記の糊でネットの上に貼り付けていき、金製の飾りをアガベと綿の糸で縫い付ける。 なお、これらの飾りは、金の含有量が85%、銀が10%、残りが銅から成る極めて高品位である円形、月形、鱗の形など3種類の小さな薄い細工物であり、当初は1,544枚あったが、紛失などで1,171枚に減少しており、最初の修復時に不足分を真鍮で補った。堂々たる主役のケッツアルの羽根は222本を数え、全体の大きさは、縦1.3m、横1.78 m、重量980g である。 作製されてから既に500年以上も経過し、劣化が進んでいるにもかかわらず、オーストリア政府による推定価値は5,000万ドルとされている。 オリジナルの構造は、折り畳んだり、丸めたり、上下に動かすことができる柔構造に仕上げた先住民芸術工学の真骨頂であった。再現した構造を両手で動かすとき、ペナチョの動きが、あたかも自然の中を優雅に飛んでいるケッツアルの姿を彷彿とさせる、徹底したシンプルさの中に先住民の細工師の凝らした工夫が一際光る逸品と言える。 なお、レプリカは、1940年にメキシコ人羽根工芸家のフランシスコ・モクテスマが、ウイーンにある現物を一度も見ることなく、入手できた写真等の資料だけを参考にして、本物に迫る荘厳さを作り出すことに成功し、現在メキシコ市の国立人類学博物館に展示されている。 劣化の状態と修復作業 材質の持つ不可避的宿命ではあるが、有機材料である羽根にカビと害虫がつき、保管場所の温度湿度といった気候の変化、照明状況などによる劣化の問題がある。羽根などの有機物と金属の無機物の総合体であることから、両者が触れ合うことで摩擦が発生し、有機物の部分が損傷を受け劣化が進行する。過去の修復での縫い付けが今となっては手を加えることが更なる劣化を招く可能性もあり、修復作業には慎重を極めた。金製の丸いプレートの一部の紛失以外に、最初の記録によれば存在していた金の嘴の紛失も明らかになっている。 最初の修復は、当時ペナチョの実態がよく分からなかったこともあり、ケープのようなものと判断され、傷んだ場所の修復に力点が置かれ、本来の立体的な柔構造から平面的な構造に替えられてしまった。しかしながら、その修復こそが、ペナチョの寿命を今日まで延ばしたことは言を俟たないと修復専門家は述べている。 また、2010年まで、黒い布の上にピンで留めて垂直に展示していたことにより、構造を支えている棒に折れなどの劣化が著しく、今は、振動吸収装置付きのガラスのショーケースの中に、22.5度の傾斜をつけて寝かせて置いている。 振動に極度に弱いという調査結果が出されており、専門家の見解では空輸には絶対に耐えられないとし、現状では館内での移動さえも非常に困難であると美術館側は説明する。 「縁の下の力持ち」としてのアガベ 先住民社会に於けるアガベの重要さについては、征服後にスペイン人のイエズス会士で科学者であったホセ・デ・アコスタが、アガベを「奇跡の木」と呼んでいたことからも明らかである。アガベはあらゆる形で先住人の社会を支える上で不可欠な資材として使用されていたのである。 多様な用途の一つに繊維の製作があった。様々な種類のアガベの異なった特徴を備えた糸が広く使用されていた。因みに、ペナチョの材料の糸と繊維がどのアガベで作れていたかは、私的には、非常に興味を唆られるテーマであり、若干の文献調査を行ってみた。 残念ながら明確な記載や言及は見当たらなかったが、ペナチョのドキュメンタリーの中で、植物学者でメキシコ国立自治大学教授のアビサイ・ガルシア博士が、当時繊維を取るための材料として最も使われていて、柔らかい糸から固い糸まで、様々な太さで作ることができる可塑性に富んだアガベサルミアナであった可能性を示唆しているのが大変興味深い。 また、アガベサルミアナやアガベテキラナ(アガベアスル)を含む数種類のアガベの繊維を比較する実験を行い、アガベサルミアナの優位性という結論に達した研究もあり、ペナチョの「長寿」を支えてきた裏方であった可能性に、改めてアガベの素材としての多様さと卓越さを感じる。なお、この芸術品の糸を切るために、当時刃物としても使用されていたのは黒曜石であったことを想起したい。 テキーラの語源については、ナワトル語起源で複数あるとして語る機会を得てきたが、正にその一つが黒曜石という石を指しており、「物を切る場所」を意味するという説がある。モクテスマ皇帝の命を受けて作られたその芸術品は、鳥の羽根や糸などの材料は最高級のものが使われていたのではないだろうか。そのアガベの糸を、テキーラの語源の一つと考えられる黒曜石製の刃物で切っていた様子を想像する際、特別な感情を禁じ得ないのは筆者だけではないだろう。 特異な文化財の帰属を巡る今後の展望 原産国からの文化財の流出は、非合法の場合が少なくない、流入先での実際には透明性が十分ではない市場で所有者が変わって行くなど、返還交渉への道程が複雑であり、交渉はしばしば困難を極め、原産国の要求の実現性が低くなる状況は珍しくない。残念ながら、文化財・文化遺産が、「人によって作られたものを人が破壊する」という究極の不条理が、依然として世界各地で看取される中、ペナチョの場合は、おそらくは金の嘴の盗難を除けば、積極的な破壊の脅威には晒されなかったであろうことは不幸中の幸いである。 メキシコは1972年に「考古学・芸術及び歴史的建造物・遺跡に関する連邦法」を制定しているが、考古学者のエドアルド・マトス=モクテスマは、どういう経緯があれ、ペナチョは同法の規定に従ってメキシコの財産であることに変わりはないとし、スペインによる征服以前に作られたあらゆる文化財は、メキシコ国家に帰属すると力説する。他方、オーストリア政府は献上品であったことと、目録が作成されてその原本が存在ことを根拠に、取得は不法な接収の結果ではないと主張する。また、メキシコの歴史学者のイバン・エスカミージャ教授も違法性はないとの見方を示している。 前述の二国間研究・修復・保全共同プロジェクトに修復専門家としての参加した修復の専門家のマリア・オルビド=モレノ博士は、極めて脆弱な状態を目の当たりにして、現状のままが最上の選択肢であり、それによって人類の宝として今後に亘る存在の継続を確保できると指摘する。また、オーストリア側の主張は、メキシコ原産という事実と、数百年に渡り保管してきた受け入れ国としての立場を統合して、今後は両国のより明確な共同責任の下で管理を続けることで、今後の世代に対しても人類的な重要性のある本品を公開し続けることができるとする。ウイーン世界博物館を訪れるメキシコ人は入館料が無料である。ペナチョを始めとする重要展示物の原産国の国民に対する敬意の表明であろう。いずれにせよ、これまで見てきたような客観的な視点に立脚すると、メキシコの先コロンブス期の文化を代表するこの文化財が、メキシコの要求するように返還される実現性は、少なくも近い将来では不可能と言わざるを得ない。 当面、物理的に移動させることが技術的に不可能であるため、今後新たな画期的な技術革新があるまでは、現状の枠組みの中で、ウイーンの一角から、悠久の時を伝える「メキシコ文化大使」として「遠隔の文化財」の輝きを発し続けることが現実的な方向であろう。 ◆主要参考文献・資料◆ ・María Olvido Moreno G. y Melanie Ruth Korn, “El Penacho de Moctezuma”, Arqueología mexicana こちらのページをクリックしてください ・María Olvido Moreno G. y Melanie Ruth Korn, INVESTIGACIÓN Y CONSERVACIÓN BAJO PRESIÓN. TÉCNICAS PARA EL ESTUDIO DEL PENACHO DEL MÉXICO ANTIGUO こちらのページをクリックしてください ・Carmen Morán Breña, “El penacho de Moctezuma o cómo recuperar el patrimonio artístico de un país”, El País, Mexico, el 18 de octubre de 2020 こちらのページをクリックしてください ・Maricela Flores, “10 datos sobre el Penacho de Moctezuma que jamás regresará a México”, EL UNIVERSAL, 12 de octubre de 2020, こちらのページをクリックしてください ・Verónica Mastretta, “ Los enigmas del Penacho de Moctezuma”, Milenio 2020, 12/10/2020 こちらのページをクリックしてください
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