subhead_bg

コラム

2021/09/13 チレ エン ノガダの発祥と神話−メキシコの歴史が凝縮したご馳走
チレ エン ノガダ(Chile en nogada)とは、唐辛子の一種のチレポブラノに、牛肉または豚の挽肉、野菜のみじん切りを混ぜて炒めたもの(ピカディージョ)を詰め、胡桃のクリームソースをかけ、ザクロをまぶした料理である。
 
唐辛子の緑とソースの白、ザクロの赤がメキシコ国旗の色合いを作り出している。材料調達の関係で、8月と9月でしか味わえないところに希少性があり、メキシコの歴史が凝縮されたメキシコ料理の真骨頂である。そして、プエブラは、今年この料理の創作200年を迎えると報道されている。チレ エン ノガダ(Chile en nogada)とは、唐辛子の一種のチレポブラノに、牛肉または豚の挽肉、野菜のみじん切りを混ぜて炒めたもの(ピカディージョ)を詰め、胡桃のクリームソースをかけ、ザクロをまぶした料理である。唐辛子の緑とソースの白、ザクロの赤がメキシコ国旗の色合いを作り出している。材料調達の関係で、8月と9月でしか味わえないところに希少性があり、メキシコの歴史が凝縮されたメキシコ料理の真骨頂である。そして、プエブラは、今年この料理の創作200年を迎えると報道されている。 写真:Puntual empresarial, 9 de junio de 2021
 
チレ エン ノガダの発祥に関する諸説
 
8月から9月にかけての時期は、チレ エン ノガダの発祥地のプエブラを始め、メキシコ市や国内の他の地域のレストランや家庭のテーブルに上がる料理でありながら、その起源については、必ずしも十分に知られていない興味深い見解や解釈がある。
最も有名で、メキシコ政府の公式見解でもある「定説」以外にも語り伝えられている説や、より深く歴史に切り込んだ解釈もある。以下、定説に加えて、おそらくはあまり知られていないであろうと思しき説について簡単にまとめてみた。
 
1821年プエブラのサンタモニカ修道院の聖アウグスチノ修道女たちが、イトゥルビデ(Agustín de Iturbide)の誕生日または聖人の祭日のいずれかを祝う目的で創作したというのが最も有名な説である。
 
これについては2019年に反論が表明されている。やや長くなるが興味深い内容なので紹介してみよう。
国立歴史人類学研究所(INAH)在プエブラ研究所の研究員で考古学者のメルロ教授(Eduardo Merlo Juárez)によると、イトゥルビデはこの料理を堪能したが、味わったものは彼のために作られたのではなく、既に存在していた品目であり、しかも主菜ではなくデザートであった(「チレ エン ノガダの神話と3つの保証の旗」“El mito de los chiles en nogada y la bandera de las tres garantías")。
 
 
起源は植民地時代(ヌエバ・エスパーニャ副王領)の時代に遡る。
初期に住んでいた人々は、お菓子作りの伝統の幅広い知識を持っていた。またその当時の植民地の支配層はふんだんな料理の饗宴を頻繁に開催し、この料理は偶然そうした中で生まれた。
当時最も優れた料理人とみなされていた修道女たちはその料理を創作して、「唐辛子の果物詰め胡桃ソースかけ」という名前をつけた。
 
これは、17世紀の植民地時代のバロック様式が頂点に達していた時に作られた料理なので、複雑な調理法に基づく特徴を持つ。メキシコ料理、特にプエブラ料理のバロック様式(複雑で凝った)特徴を具体化したものであり、8月〜9月限定料理という意味で、「プエブラらしさ」が凝縮する料理における思いつきの産物であった。
イトゥルビデはペレス(Antonio J. Pérez Martínez)主教邸で、8月28日の彼の聖名祝日のために作られたのではないが、デザートして出されたこれを食し、とても気に入ったと言われている。
 
独立戦争後、イトゥルビデがプエブラに凱旋する日が来た。
修道女たちは8月28日の守護聖人聖アウグスティヌスの祭日のための祝宴で胡桃のソースをかけた唐辛子に果物を詰めた一品を用意していた。昼食時にはイトゥルビデには14品目のコースが出された。
最後のデザートが「独立を祝うデザート」であるこのチレ エンノガダであった。なお、イトゥルビデの名前がアグスティンであったことで、後年、聖人の祭日がイトゥルビデの誕生日と取り違えられるようになったとしている。
 
独立達成後の国の経済状況の悪化に伴い、大規模な祝宴の開催が困難になるにつれて食の贅沢は抑制され、食事時間は短縮を余儀なくされた。この料理については、それまでは詰め物は果物だけだったのが、肉を加えることを誰かが思いついたことで主菜となった。チレ エン ノガダのデザートから料理への変容である。
 
次は、上記の説の変形である17世紀にクララ会修道女によって生まれたとする説である。これによると、1821年プエブラの社交界の女性たちがイトゥルビデのために昼食会を開いた時に出された料理であった。
 
また、知名度では劣るがロマンチックな内容で際立っている説がある。著名な作家のバジェ=アリスぺ(Artemio de Valle-Arizpe)によると、イトゥルビデが率いていた軍隊(三つの保証軍と呼ばれた)に属する三人の兵士の無事帰還をメキシコの独立と合わせて祝うために、プエブラ在住の三人の恋人たちが考案したとされる。
女性たちは、メキシコの独立と恋人との再会を祝して、この料理を作ることにした。一人一人が、軍隊の旗の色(赤と白と緑)の一つを表す材料を選んだ。
 
最後に挙げるのは、正に現代の情報社会の申し子の現象と言えるものである。SNSで積極的な活動を展開するライターが、Merloを引用してチレ エン ノガダを巡るいくつかの「神話」崩しを発表していることが話題になっている。Tolatoani_Cuauhtemocというハンドルネームでむしろ有名になったオルティス(Enrique Ortiz)は、Twitterを通じてチレ エン ノガダにまつわる様々な神話を解きほぐしている。
 
 
神話1:イトゥルビデのために創作された。反論:おそらくは一番重要な神話であるが、1821年9月27日に、翌年メキシコの皇帝となったイトゥルビデの訪問のために作られたのではなく、100年以上前の1714年に出された『プエブラの料理人』という書籍の中に 、胡桃のソースをかけた唐辛子のレシピが含まれている。
 
神話2:主菜であり、衣がついていない。反論:当時は主菜ではなく、細かく刻んだ果物の詰め物から成るデザートであった。唐辛子に衣をつけるか否かについて議論が交わされたが、結果的に衣をつける案が通った。
 
神話3:ザクロとパセリは最初から盛り込まれていた材料であり、詰め物は挽肉であった。反論:ザクロ(赤)とパセリ(緑)は、結果的にイトゥルビデの目を楽しませることになったが、それは、三つの保証軍を率いていたイトゥルビデには、赤、緑、白の3色が軍隊の旗を彷彿とさせたからであった。彼に振る舞われたチレ エン ノガダは果物の詰め物であった。後年、詰め物に豚・牛肉を入れるようになったが、微塵切りしたもので挽いたものではなかった。
 
プエブラの畑から
 
チレ エン ノガダに使用する材料は、州内の主要産地で8月〜9月に収穫される。便利さから材料を冷凍することが多い他の地域とは異なり、プエブラの人たちは新鮮さへの拘りが強いと言われている。
 
伝統を踏まえた革新 
 
プエブラのレストラン業界での最近の「革新」についてプエプラの全国レストラン惣菜産業商議所のメンデス会頭Olga Mendez Juárez)によると、この料理を真空パックにしてメキシコ市や国内各地に送っているレストランもいくつかある。レシピのバリエーションが増えてきて、高級材料の使用、和牛の挽肉を使うレストランも出現している。
 
プエブラ州アトリスコ市のソカロ(中央広場)では、8月から胡桃クリームソースのアイスクリームを販売。チレ エン ノガダの象徴的な一部を気軽に味わってもらおうという趣旨で始めた取り組みであり、とりわけ観光客の間で評判が良いそうである。
 
より手軽にこの料理を楽しんでもらおうという趣旨で、プエブラ風トルタ(メキシコのサンドイッチ)またはハンバーガーの形で提供するという試みがある。プエブラの老舗レストランFonda de Santa Claraの取り組みであることが非常に興味深い。老舗であるが故の革新への拘りであろうか。
 
伝統の持つ重みを理解しながらも、グローバルな時代の現代的な「食の表現」を取り入れて新たな市場を切り開くという気概も感じられる。また、伝統文化の担い手、研究者、宣伝主体によるブログやSNSによる情報発信が、チレ エン ノガダを始めとするメキシコ料理のより深い理解と調理法の新たな工夫に向けて、より積極的な役割を果たしていくと思われる。
 

最新トピックス